五個荘町には、優れた古い町並みが多く残っています。その中でも金堂地区は、近代日本経済の基礎を築いた近江商人の発祥地として広く全国に知られ、現在も商人たちの本宅と社寺が調和のとれた美しい町並みをつくり出しています。
金堂の歴史は古く、奈良時代に寺院が建てられていることからも、古代神崎郡の中心地の一つであったと思われます。しかし、現在の集落の基礎ができたのは江戸時代初め頃で、当時の絵図には大和郡山藩の金堂陣屋を中心に条里制地割に沿って、弘誓寺や勝徳寺・大城神社などが三方に整然と配置された集落が描かれています。
金堂の近江商人は、主に江戸時代後半から昭和時代にかけて呉服や綿・絹製品を中心に、革新的商法によって商圏を全国に広げました。「近江神崎郡志稿」の大正13年調査では金堂出身の商人に、外村興左衛門・外村宇兵衛・外村市郎兵衛・塚本喜左衛門・中江勝次郎をはじめ合計19人をかぞえています。出店地も、京都・大阪・東京・北海道をはじめ朝鮮半島にも進出しています。商人達は決して郷里を忘れることなく、金堂の本宅を守り、進んで社寺に寄進して、集落全体として調和のとれた格調高い町並みを作り育ててきました。金堂には、弘誓寺(国重要文化財)や弘誓寺山門(町文化財指定)、てんびんの里伝統家屋博物館(近江商人屋敷旧外村宇兵衛邸、町文化財指定)があります。